英語圏では「bauble」と、呼んでいるみたい。



古仏語に起源を持つ言葉で、「子供だましのオモチャ」みたいな意味があるようなのだが、今がクリスマス前だからかも知れないけれど、画像検索にかけてみると、ほぼ、この「まるいやつ」を表す普通名詞として機能しているようにみえる。

Glosbeで日本語に翻訳すると「安ピカもの」と翻訳される。そんな、大阪のオカンのその場限りの思いつきみたいな訳語でよいのか。


その起源は19世紀のドイツに遡り、一説に拠れば、1847年、クリスマスツリーに飾り付けるための高価なリンゴや胡桃を買うことができなかったラウシャの貧しい吹きガラス職人が、それらを模して作ることを思いついたのがはじまりだとされる。似たような話は隣国フランスのゴーゼンブルックにも伝わっているようで、フランス観光開発機構がサイトで起源を主張していた。


初期に作られたものは大きさも様々で、小さいものから直径18インチくらいの大きくて重いものまであり、 もともとは家や教会の天井からぶら下げる飾りだったようだ。魔除けの意味があったらしい。

クリスマス飾りとしては、現在一般的な球形のものばかりではなく、粘土の型を使って様々な形のものが作られていた。ラウシャのガラス吹きは、どんな複雑な形状のものも作れるといわれていたそうである。

その後、クリスマスツリーを飾り付ける風習の世界的な広がりと共に、クリスマス飾りはドイツの主要な輸出品のひとつとなった。1880年にアメリカの小売チェーン「ウルワース」が取り扱いを始めると、丸いガラス飾りは「kugel(球・イディッシュ語)」という名前で爆発的にヒットしたという。今それが「bauble」という一般名詞で定着しているのは第二次世界大戦で敵性語扱いにされたためか(kugel自体はユダヤ語起源の言葉であるようだが)。

かつては日本でもこのガラス玉飾りの製造は行われていて、1920年代から30年代にかけては海外への輸出も盛んに行われていたが、後に太平洋戦争で中断、戦後はGHQ統治下で一時復活したが、その後はオイルショックに続く国内経済の悪化などで失われてしまう。


【参考】

一般的に日本のクリスマスの発祥は横浜であるという説が有力なのですが、クリスマス産業の発祥の地となると、間違いなく神戸なのです。

クリスマス用品が神戸の地場産業であることは、意外に知られていなくて、神戸市民ですら、知っている人はごく僅かです。 明治30年ごろ、仏具として使用されていた経木(木の薄皮で作られた菓子折り、弁当の箱のような材質)で作られたモールが神戸在住の外国人の目にとまり、クリスマス用品のモールとして作られたのが始まりです。

当時は「経木モール」あるいは「莚モール」(ムシロモール)と言われ、松や檜を薄く削り、染色加工されました。生産地である兵庫県の柏原(かいばら)で、製織され、神戸の業者が染色加工し、ほとんどが欧米へ輸出され、現地では大変人気を博したようです。

クリスマス産業発祥から戦前までは紙、木、ガラス、アルミ箔、セルロイドなどの素材を使用した「モール」、「ガラス玉オーナメント」、「ホイルベル」等の製品が主に生産され、バラエティに富んだ商品が出現しました。
日露戦争後の明治40年頃、外国商館員の依頼で、クリスマスやその他の装飾品としてガラス光り玉(ガラス玉、ひかり玉ともいう)を製造。輸出先は欧米、インド、東南アジアなど。

製造開始とほぼ同じ時期、治三郎夫妻とその子条吉は、このガラス光り玉を正月の松飾りに吊す事を考案。金玉(きんたま)と称して赤や青や銀のガラス玉を吊す風習は瞬く間に姫路地方に広まった。この風習は同地方だけにみられる独自なものである。  

ガラス光り玉の種類は、大きいもので直径40センチ。小さいものでは直径5センチほどであった。 ガラス製造を中止すると共に、ガラス玉を吊す風習も次第に減っていたが、姫路市の海岸部一帯には今なおその風習が残っている。


松飾りというから門松のことかと思って画像検索で探してみると室内飾りで、雪を模して綿まで飾ってある家まであり、実はこれ、日本が明治期に一度、正月行事にかこつけてクリスマスツリーの導入を試みて失敗した歴史の残滓なんではないか。

この少し奇妙な風習は、姫路と四国の一部で現在も続いているほか、なぜか岐阜県高山市でも行われているようで、謂れがとても気になる。


読まれている記事




※Amazonアソシエイト・プログラムに参加しています。