坊さんがカツアゲもといお盆の棚経上げに来る前に、少し仏壇を整えた。この時期仏花が高いので、ケチってクサギの花を生けてみたのだが、水上げが悪くて2日と保たず萎れてしまった。


Seriaで買った糸の細いモップが有能だった。


ウィスキーのミニチュアボトルを並べてみたら楽しかった。仏壇+ミニチュアに可能性を感じる。


押し入れの奥には盆提灯もあるが、出していない。家を建てなおしたときに、部屋の入口近くに仏壇を置く場所を拵えたものだから、置き場がなくなってしまった。


正気を保ってた頃の祖母は、毎朝、仏壇にお膳を供えて、線香を立てて、手を合わせることを欠かさなかった。仏壇の花を絶やすこともなかった。祖父が死んでしばらくは、月命日の墓参りも続けていた。祖母が呆けてなおざりになり、祖母が死んで、母が呆けてから盆暮れ彼岸の墓参りすらサボりがちになった。父はキリスト教徒で、仏教行事を嫌っていたようだ。

盆には迎え火送り火を炊き、墓参りに行く。父は、「盆の間は先祖の霊も家に帰ってくるんだから墓参りなんか必要ないのではないか」と言っていた。家族が揃って出かける行事は墓参りくらいしかないもので、その日の昼は外で蕎麦か鰻を食べることに決まっていた。


お盆になると近所のスーパーで「お供えセット」みたいなものを売り出す。ウチでも毎年、真菰の敷物だの麻ガラだのを用意していたことは覚えているのだが、それをどう使っていたのかが記憶にない。

真菰の敷物は、盆が終わったら、お供えの花やら牛馬の飾りやらを包んで、近くの秋葉さんで供養してもらうことになっている。昔はこれを各家々で川に流しており、環境負荷の点で問題になった。今はお焚き上げも市の焼却炉の仕事となり、この時期燃えるゴミの日に集積場の前を通ると、苞納豆みたいな形のソレが、ゴミ袋に詰められて捨てられているを見かけて、少し複雑な心持ちになる。

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